Part1. 巡礼の地〜シャルトル大聖堂
Part2. ヴィクトリアンスタイルのティーセレモニー
Part3. マダムおススメ〜薔薇のナプキンリング・アレンジ
パリ近郊からシャルトルへの道のりを二日間歩き続けシャルトルの聖母を讃えたとされるシャルトル・ノートルダム大聖堂。12〜13世紀に作られシャルトルブルーと謳われるステンドグラスが、これほど美しい状態で今も尚〜残されている 稀少な遺産です。
シャルトル巡礼を行う者たちにとって宗教的に重要な場所であったという歴史を持つ上に、9世紀〜時の王により キリスト生誕のときに聖母マリアが身にまとっていたとされる布が教会に献納されたことで、国境を越え天上の マリアの地上の宮殿とされるシャルトル・ノートルダム大聖堂を目指す者も少なくありません。しかもこの地域がキリスト教化される以前から、シャルトルはケルト民族にとって神聖な土地であった事も言い伝えられ、宗教よりも先がけ聖地として崇められてきた土地です。
冷たい風が吹き付ける季節に歩いての巡礼は省かせていただき、大聖堂巡りの最高峰と謳われていたシャルトルへパリから列車にて向かうことにします。シャルトルブルーのステンドグラス&ロマネスク建築の荘厳とも言われる大聖堂の身廊に踏み入れた瞬間の神聖なる静寂さをシャルトルの街並みとともにご紹介します。

シャルトルが近くなる頃、列車の中からも小高い丘に時代の異なる二つの尖塔が聳え立って見えます。1194年の火災によりロマネスク様式の教会堂とともに残された右側の旧鐘塔と左側の新鐘塔が並ぶシャルトル大聖堂の特徴ある石のファサードです。
ロマネスク様式の西扉口に比べ13世紀に仕上げられた北扉口はキリスト教会を賛美する彫刻で飾られています。

12世紀中期に作られた主要な西正面ファサードは王の扉口と称され見事な彫刻が残されています。静かに扉を押し開けると同時に高さ37メートルの身廊に引き込まれるようです。ステンドグラスの彩度を高め堂内の暗さを維持した構造上の特徴ですが、実に神秘的な空間です。ステンドグラスとともに、ほとんど損傷を受けずに残された13世紀の大聖堂内部の彫刻は柱頭の葉飾りとヴォ―ルトの要石に限定されています。
当時、ロマネスクの大聖堂における彫刻と絵画の役割を果たしていたのは鮮やかなステンドグラス。信者への聖史、福音書、聖人の伝記等を語り宗教的な建築物に色彩をもたらし大聖堂に驚くべき光を氾濫させています。しかし教会堂を鮮やかな色彩や光で飾る為だけに作られたのではなく、見る人に神聖なメッセージを伝えようとする工夫が随所に仕掛けられています。
つまり聖書の代わりに美術品を見る事で聖書の内容を知らせる意味が含まれています。しかも18世紀の火災による破損にも拘らず聖書の伝統的な教えに導いた典型的ともいえるステンドグラスが一式保存されています。
西正面の王の扉口を飾る大きな薔薇窓には13世紀に描いた「最後の審判」。その下の三面の大きなステンドグラスは12世紀にサン・ドニの工房で制作されたキリストの系譜・エルサレム入城までの救世主の生涯・受難と復活を物語っています。

さらにステンドグラスにまつわる驚くべきお話があります。第二次世界大戦中、ドイツ軍からステンドグラスを守る為、すべてのステンドグラスを外して保管され守り抜かれた事も聖地たる壮大な歴史の中で語られる偉業ではないでしょうか。

シャルトルのシンボル〜大聖堂から離れ、巡礼の地として巡礼者を癒す街並みを歩いてみます。早朝の肌寒い小雨を含んだ雲行きも少しづつ青空に変わり始めました。シャルトル大聖堂の回りを歩いてみますと、幾つかのステンドグラス工房が集まりアーティストの作品を 展示されているギャラリーなど、宗教色とは無関係なステンドグラスが数多く見られます。 北扉口から14世紀に建てられた聖ピア礼拝堂、南扉口をぐるりと回り旧市街へ向かいます。

大聖堂のまわりには大聖堂と同時代のノートルダム修道院の諸施設や酒蔵・穀物倉・ルネッサンス様式の聖エニャン教会、 べネディクト派修道院のサン・ピエール教会が並んでいます。さらにユール川沿いを歩きボンジュー橋を渡りながら目にする皮なめし工、毛皮職人、織物職人たちが居住していた小教区。そこには幾世紀も見守る大聖堂が聳えています。

大巡礼地である経済効果は絶大なもので、大聖堂とともに人々の暮らしを豊かに潤い繁栄していた様子が 今も感じられます。 もちろん観光地として様変わりしていますが、中世の面影が色濃く残る街並みにボース平野でとれる上質な 麦を使ったユーレリエンヌ(地ビール)、歩き疲れた時にはひと息〜紅茶とともにマカロン&クレープ・シュゼット。 噛みごたえ十分のフランスの田舎パンを味わい中世の息づかいを味わえるひと時です。 今回はパリから日帰りスケジュールを組みましたが穏やかな町に佇むシャト―ホテルに滞在してみるのも 素敵かも・・・と水面の美しい水の流れを眺めながら旅心をくすぐられました。

ちなみにマカロンは13世紀アジアから運ばれたアーモンドの積み荷とともにヴェネチアからフランスに渡りナンシ―に住みついた二人のスペインのカルメル会の尼僧たちがアーモンドの木を栽培し17世紀初頭以来、 サン・サクルモンの修道院のマカロンのレシピを秘蔵していましたが、1792年憲法が修道会を廃止した時にアシュ通りの信者の家に身を寄せたお礼にカルメル会修道女のガイヨ修道女とモルロ修道女が一生懸命に自分達が受けた感謝のお礼からお菓子を作ったとも伝えられています。
16世紀、既にイタリアで流行していたお菓子をカトリーヌ・ド・メディシスが輿入れする際に持って来たお菓子として イタリア語では「マッケローネ」を語源とし、古い製法で泡立てない卵を使うアミアンのマカロン製法に近いマカロンも 有名ですが、13世紀にウルスラ会の修道女が作ったお菓子が起源とされるサン・テミリオンのマカロンを筆頭に ナンシ―のマカロンやロワール地方トゥール近くのコムスリーでも791年に地元の修道院で考案し作られた マカロンなど、フランス各地で独自の製法による数えきれない流派のマカロンが作られています。 唯一、中世のレシピの基本「アーモンド・卵白・砂糖」は現在も同じです。 ところで、マカロンに使われる素材の一つ〜アーモンド。

へブライ人にとってアーモンドの木は極限状況で発芽する生命の象徴と称え、キリスト教徒の洗礼も新しい 聖なる生命の出発であることを重ね合わせた事に由来しているようです。 日本に居ながら手軽に口に出来るようになった西洋のお菓子には中世以前もしくはキリスト教伝来とともに ヨーロッパ各地へと受け継がれた歴史が隠されていますので〜アンティークと同じく歴史を紐解くきっかけに さらに食べ歩き?続けます。

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ヴィクトリアン・ロココの華やかさを引き立てる工房 WilliamHunter が仕上げたペア・シェープラインのフォーマルティーサービスセットをシルバートレーに載せ〜オケージョナルテーブルにセッティング。 愛らしい薔薇のティーポットとともにマイセンのローズカラーのプレートと愛らしいマイセン・ローズのカップ&ソーサーを組み合わせ薔薇尽くしのティーセレモニーの演出です。

組み合わせが自由自在なイパーンをテーブルセンターにセッティング。トップのフラワーベースを取り外し、フリル状のディッシュにフルーツたっぷりのホールケーキ〜ジャストサイズのセッティングです。センターに合わせる左右のフラワーアレンジとともに足元に重ねた薔薇尽くしのサルヴァ。まるで真っ白なキャンバスにお花を散りばめるように〜KOTETSU流サルヴァ・アレンジのお披露目です。


マイセンのカップ&ソーサーに添えて頂きたいクィーンズパターンのティースプーン。クィーンの風格を感じさせる〜エレガント且つ華やかなティースプーンです。
さらに〜クォリティーの高い工房 MartinHall&Co が得意とするルネッサンス調の装飾技法で飾られた デザートカトラリーを一緒にセッティング。
この時代を代表する完成度の高い銀器と同時代に愛されたポーセリンとの美しいハーモニーです。
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テーブルセッティングに添えていだきたいナプキンリング。今回は薔薇尽くしのテーマに合わせ、刺繍で彩られたナプキンリングを添えてみました。
テーブルクロスとナプキンの色合いから〜様々な生地の質感に合わせた最高の相性探し。そんな試行錯誤からテーマに沿ったナプキンとの相性の良いナプキンリングを重ねますとテーブルセッティングの幅広いバリエーションをお楽しみ頂けます。
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