Paul Storrは英国1771年生まれ、1792年にWm.Frisbeeの工房で働き始めます。そして翌年の1793年に独立。すでにこの時から彼の技術力は評判でした。1797年Rundell.Bridge&Rundellと出会い、ここから銀器の注文を受けるようになります。その後、1807年には、Rundell.Bridge&Rundellとパートナーシップを結びます。それは、技術的には超一流との評判でしたが、Paul Storrには芸術的な才能は不足していました。 そこで、それを補う芸術家たち(デザイナー)がこの工房にはたくさん所属していましたのでPaul Storrにとっても、さらに名声を揚げるチャンスと思ったのでしょう。 その証しとして、この時期Paul Storrが作った多くの銀器が美術館等に納められ、高い評価を得ています。 |
そこで、RundellさんとBridgeさんのコンビについて説明しますと、彼らは対照的な能力と性格を持っていると言われていました。つまりOil&Vinegar(水と油)。Rundellさんは強力なビジネスマンでしたが、それに比べJhon Bridgeさんは類稀な営業力を持っていたとされます。 二人は共にシルバー技術者とデザイナーを発掘し、当時のキングオブジョージや貴族達からの注文に応えていきます。Rundellさんは技術者に人脈があり、当時の一流の人をどんどん雇い入れました。 そして、Bridgeさんは現在のブリティッシュミュージアムに絵が残っているような新進画家を見つけ出すという才能があったのです。その後、隆盛を誇ったRundell.Bridge&Rundellが衰退し始める1830年頃からは、再びGarrardsがロイヤルゴールドスミスの位置を勝ち取り現在までも続いています。 |
Paul Storrは1820年Rundell.Bridge&Rundellと提携を解消。1822年John Mortimerとパートナーを組みますが、なんとPaul Storrはそれまでに培ったほとんどの財産をこの頃に失います。その時、そのPaul Storrを助けたのがJohn Smuel Huntでした。Paul Storrが1838年にリタイアするまで、Paul Storrの工房にJohn Smuel Huntが資金を導入&経営し、引退した後はMortimer&Huntとして引き継ぎます。 そのMortimer&Huntも1843年まで続きますが、その後に名前がHunt&Roskellに代わり、さらに1889年Bensonが経営権を購入します。しかし、工房は動いてない状態のまま商標のみが1965年まで続き、近年AspreysがHunt&Roskellという会社を再建しています。 |