秋の夜長、澄みわたる空気に映える名月を愛でながら「お月見」にちなんだテーブルセッティングです。 もちろん今回の主役は「イパーン」、色伊万里皿を合わせたテーブルのセンターにセットし、月夜の ディナー・ティータイムです。
それではこの度の主役「イパーン」がオーダーされた頃とは、イギリスではどのような銀器が求められて いたのでしょうか。 ロンドンのV&Aミュージアムの銀器所蔵品の中にもヴィクトリア時代の華やかな銀器の象徴として作られた 前後左右に広がる大きなイパーンが展示されています。 また、銀器の解説本には偽物と時代考証の怪しいイパーンを見極めるようにとの、注意点を多々書かれて おりますが、さてさてその器の目的は?? |
時代を遡って1750年頃、フランスの宮廷文化からイギリスに伝わったとされるイパーン。 当時は装飾の凝ったスタイルが多く作られました。 そのスタイルをひとつひとつ追ってみますと、大きな器を中央にし四隅には燭台が付いたキャンドルスタンド との兼用として作られ、さらにディッシュの数も4枚、さらにアダムスタイルが出始めた1780年〜1790年には ディッシュの数が6枚に増え、ディッシュの装飾にもピアッシング等が多く見られるようになります。 さらに1800年頃には器の中にガラスをはめられたものなど、より華美なデザインが多かったとされています。 そしてヴィクトリア後期になりますと、王侯貴族の宮廷に似合うサイズから居住空間の小型化により、 台座の上に並べて、センターラインに沿った置き方が出来るスタイル、後のセンターピースと言う器に変化を していきます。 |
さて、宮廷文化をヨーロッパ諸国に広めたその人〜フランスのルイ14世の宮廷を規範とし仰いだ ことから始まります。 その壮麗なる宮廷文化を築きあげた祝宴とはどのようなスタイルだったのでしょう。 大衆とは別世界の豪華な大祝宴、そして窮極まで美麗化された王自らの生活、さらにすべてを儀式化し 公示することにより、太陽王としてすべての民の上に立つ支配者になろうとした。 その流れは17世紀末頃、ヨーロッパでは大きな広間&庭園をそなえた宮殿が築かれ、ヨーロッパ諸国の 宮廷や貴族もフランスの祝宴の演出や食卓の飾りをお手本として発展していきます。 |
そして、何よりも祝宴の華やかな演出として上げられますのが食卓の豪華な飾り。 王侯貴族が宮廷料理人を抱えていた当時、テーブルの中央に鑑賞用のお料理や砂糖を用いたデザート で作られたオブジェが飾られ、祝宴の象徴であったと記録されています。 しかも、そびえ立つような巨大な創作芸術を食卓の他にも作り、テーブルにお披露目していました。 現代でも幾人かの宮廷料理人の残したレシピには、そのデッサン図などが建築図面のように残されています。 その後、18世紀始め頃にはセンターピースというテーブル装飾の為の新しい道具でフルーツ&お菓子を盛り 付けた器と調味料入れなどを供えた食事用の器を並べていました。 そのフルーツ&お菓子を盛り付けた器こそが・・・イギリスへ伝わった銀器「イパーン」の由来となるのです。 |