英国の嗜好飲料「英国紅茶」をロンドン市内のお茶の出来る場所で気軽に頂けるものか・・・と思い、あちこち探しまわってみたことがあります。ところが至るところ「世界中に出回っているコーヒーチェーン店」ばかりで、ようやく地下鉄の入り口付近 にあるスタンドバーの“飲み物メニュー”の中に「紅茶」を発見。それではと、紅茶をオーダーすると大きなマグカップにティーパックをポンと入れ、マシーンの熱いお湯をジューーっと注ぎ淹れるだけなのです。しかも最近は防水加工された紙のカップが定番〜。紅茶の茶葉を淹れたポットサービスをオーダー出来るのはホテルやレストランでのお食事後に飲み物の オーダーを紅茶にした時のみで、一体どこでゆっくり紅茶を頂けるのかしら〜と謎でした。知り合いのイギリス人に聞くと、「マナーハウスや家で飲むもの」と言われるではありませんか・・・「成る程マナーハウスね。」さてさて、そのマナーハウスとは何処にあるのかしら?? もしかして〜ロンドン郊外に豪華な貴族のお邸をホテルとして営業されている・・・あのマナーハウスのこと。それでは、ロンドン市内には存在しない訳ですか?・・・ただただ紅茶を飲みたいだけなのに。そこで、謎々を解き明かす「ティーハウス」を調べてみました。
英国での紅茶文化が広まったとは言え、最初にティーハウス「ザ・ゴールデン・ライオンズ」がトマス・トワイニングによって開設されたのは1717年のことでした。ちなみに、最初にコーヒーハウスが誕生したのは厳格な清教徒主義を掲げたクロムウエルの共和制の始まる前、 1652年と言われています。このコーヒーハウスとティーハウスの共通点はアルコールに依存しない「酔い」であり、その覚めた陶酔感覚、さらに近代社会の基本論理に基づく個々それぞれに認められた権利として、民主主義社会の成熟に役立つ
ことになります。 しかしコーヒーハウスに集まるのは男性で、しかも当時の金融から政治にいたる最新情報源の溜まり場となっていました。女性からみると、それはもっとも怪しい集まりの場に思え、また男性のみが家庭以外に自由な 空間を持てることに対し、憧れのように思い始めます。
そこでようやく紅茶販売とともにティーハウスという女性専用の部屋が確保されていくことになるのですが・・・・・。ティーハウスはコーヒーハウスの繁盛にはおよばず、なんとパブの片隅に追いやられて小売販売されるという
まだまだ紅茶は高価&少数の購入出来る男性が家に持ち帰るような特別な飲み物でした。 もちろん☆女性は男性が持ち帰る紅茶を、家のなかで自己流に好きなようにいただく方法を色いろ考えていきます。
そして、時代の流れのなか1733年「ボストン・ティーパーティ事件」が起こります。 アメリカの独立にもつながった事件ですが、それが特権階級の象徴であった紅茶にも変化を起こします。
つまり、さまざまな条件により、紅茶の大衆化の動きが見られてくるのです。さらに19世紀に入ると一般大衆に安くより多く消費させる方が得策という判断が定着していき、どんどん紅茶の
消費が増えていきます。しかし中国からの輸入増加もアヘン戦争により茶葉交易が半減。 そこで、どんどん増え続ける紅茶の需要に応えるため品種改良に努めながら、インドのアッサム地方・セイロン
へと産地を開拓していきます。その後、19世紀後半になると、まだまだ高価な嗜好品ではありますが、紅茶が英国中で飲まれるようになります。
しかも、紅茶の袋売りやトマス・リプトンの産地直送販売などにより、紅茶の販売拡大へともたらされました。 ところで、コーヒーハウスの流れはと言いますと、男性の偏った趣向により貴族化したクラブへと流れがかわります。では紅茶はと言いますと、なんと女性の趣向において家庭を中心にしながら楽しむ飲み物へとなっていきます。それは、コーヒーを焙煎する面倒な作業に比べ、お湯を注ぐだけで頂ける紅茶は、家庭の中で女性が
サービスをしてくれる語らいの時間が男性も楽しく、また紅茶に関るティーカップから諸々の紅茶の道具を揃えることで、女性の好みを反映したそれぞれの階級や家庭での楽しみ方が主流となっていきます。
つまり、それまで貴族や宮廷でのたしなみであったものが、中産階級にとっての新しい習慣を位置づける結果と なったわけです。そのため、今もなお現在の英国内において「紅茶は家で寛ぐ飲みもの」なのでしょう。もちろん、ロンドン市内もしくは郊外にてティーハウスを見かけますが・・・・数はとても少ないです。 |
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