No.007 ジョージアン・ティーポット

イギリスでシルバーのポットが作られた記録を辿ってみますと、1681年に作られたコーヒーポットが最初という記録が残されています。ちなみに、こちらのポットはロンドンのヴィクトリア・アルバート美術館に所蔵されていますので、機会がございましたらご覧になられて下さい。 また、英国の中でもロンドンで紅茶が販売されるようになった最初の記録は1657年です。この当時はお茶とともに中国から輸入した中国製の茶器を使っていましたので、シルバーはもちろんのこと、英国の陶磁器もまだ登場しておりませんでした。しかも英国で陶磁器が作られたのは1750年以降、マイセンでも1710年頃ですから、流通するようになったのは、それよりも後のことになります。

つまり1600年代のシルバーティーポットがほとんど残っていないのは、一般的に作られるような状態ではなく、持ち得た方がたも王侯貴族の特権階級のみでした。1700年頃から1750年頃にはバレットスタイルという、中国茶やお煎茶を淹れる急須のような形のシルバーのティーポットが作られます。製造方法は一枚の銀のシートから手打ちで打ち出していくのですが、こちらは容量も少なく、とても小さなポットらしき・・・ものでした。これがシルバーのティーポットとしてイギリスで最初に出回ります。それはお手本にした中国の陶磁器が、とても小さなサイズが多かったことから、真似た英国銀器のポットも同じような容量になったという訳です。さらに、お茶(当時は中国の緑茶※)が高価であったことも理由に上げられます。
※中国の緑茶は現在の日本の緑茶とは製法が異なり、日本的な蒸す方法ではなく炒ったものです。

そして、1770年頃から1790年代に入りますと、ドラムスタイルというティーポットが作られます。それは銀のシートをまるめてドラムを作ったことからそう呼ばれますが、そのシートを上部と底の部分に貼り付けました。さらに貼り付け部分を目立たなくする為に、つなぎ目にハンドルを取り付けています。注ぎ口のデザインは煙突のような真っ直ぐに延びた口のスタイルで、側面には何の装飾も施されない状態でした。もちろん蓋の細工も一枚のツルッとした面で仕上げられています。

その後、へスター・ベイトマンの出現により側面にはブライトカットの装飾が施され、側面の上下にはビーズ細工による接合が施されるなど、どんどん英国の銀職人さんの腕も〜上がってきます。さらに、この頃からティーポットの接合技術がめきめきと進化し、ポットのモレ等によるトラブルも少なくなってきました。その後、改良を重ねながら蓋の上部に膨らみを加えたもの、側面を面取りしたものなど、除々に銀細工が高度になっていきます。

画像の左側のティーポットは、何の飾りも施せなかったドラムスタイルから、ようやくブライトカットを加えられるようになった1784年 Charles Houghamです。そして真ん中のティーポットはヴィクトリア期に入ってから、ジョージアンに思いを馳せてオーダーされた1866年 Henry Hollandと、右側のティーサービスセット1877年 JBEBです。初期のティーポットは素朴に見えるかもしれませんが、英国人にとって心をゆさぶられるデザインだったのでしょう。

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