イギリスの陶磁器会社のひとつロイヤルウースターは1751年にスタートしてから、次々にグレンジャー、ハードレイ、ロックを合併し成長してきた工房です。それぞれの工房において製造してきたパターン図・デザインや絵付け師さえも多数抱え込みながら20世紀初頭のロイヤルウースターの基盤になっていきました。
その吸収合併により多くの職人、しかも陶磁器の絵付け師という枠組みでは抑えられない芸術的センスを持つアーチスト達を抱えた膨大な職人の集団になっていきます。もちろん陶磁器の基本である造形から型抜き職人や金彩師から絵付け師まで、かなりの人数であった事を当時の記録に残されています。しかも親子、夫婦、兄弟でウースターに働くという愛社精神とも言える職人一族が多くいたことも記録されています。
ウースターの1900年〜20年代を代表とする絵付け師には祖父から父さらに子供、孫へと代々ウースターに貢献したスティントン家が上げられます。その中にはウースターに限らず陶磁器絵付け師の中でも優れた風景画家のジョンJr、その彼の次男ハリーも画家として名を残しています。そして同時代に活躍したウースターの天才絵付け師ハリー・ディヴィスです。そのハリー・ディヴィスも祖父の代からウースターの職人として働く家柄でした。まさに1920年代のウースター社には才能に恵まれた職人が数多く集まり幸運な黄金期を迎えることになったのです。
1898年、祖父のジョサイア・ディヴィスの勧めによりハリー・ディヴィスが工房に入ります。そして祖父が見抜いた以上の多くの才能を発揮していきます。その中でも自然的な風景やハイランド地方の羊、魚を描くことを得意としました。その後ハリーは男性絵付け師の中の Foreman
painterとなり、後輩の育成に努めます。当時ハリーの許からは数々のぺインターが育っていきました。またその研修方法が現代に伝えられるウースターの技術の伝承へつながれています。
1918年、ウースターに入った Edward Townsend はいかなる絵付けにも優れている才能の持ち主でしたが、特にフルーツを得意とし絵付け師として才能を発揮します。さらにハリー・ディヴィスのアシスタントとして活躍し、ハリー引退後 Foreman
painter を引き継ぎます。そこで1920年代ウースターの黄金期と讃えられる時代〜ウースターに集まった優秀なぺインター達が集合体となり、造形師・金彩師が一緒となりペインティッドフルーツを創り出していきます。それは個人で仕上げる工程ではなく、社名上げての製造方法でした。しかも陶磁器が仕上がるまでの間、一人ひとりがプロ・フェッショナルの集合体なのです。そのお手本を基礎とした工程が今も残され続けていることは、まさしくロイヤルウースターの歴史の技とも言える所以なのです。
そしてウースターの代表的な作品としてペインテッドフルーツが完成します。現代でもウースター最高の工芸品として多くのファンを持ち得ていますが、当時の人々にっとっても〜もちろんのこと。ハンドペイントによる絵付けを焼成6回以上繰り返し特殊技法で施す22金を何時間もかけて研磨し、輝きを出す最高クラスのギルダーが行う工程により成し得た作品です。 |
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