Table Talk.2


ヴィクトリア時代にイギリスが最も繁栄したことを示すイベントを挙げるならば、1851年と1862年に開催された ロンドン国際博覧会です。何よりもその後のイギリスの国力を高める原動力ともなりました。そして、博覧会の成功はヴィクトリア女王の夫、アルバート公の功績&ご尽力の賜物とも言えます。
英国国民に人気?を得られずにいたアルバート公ですが、豊かな教養と賢明な助言で女王を補佐し、芸術・工業・商業発展のために王立協会の他のメンバーとともに近代の工業技術とデザインの祝典としての 組織をまとめ、万国産業製作品大博覧会開催へと尽力を注いだ功績は素晴らしく、さらに社会福祉にも力を尽くし、 国民の信頼&尊敬を得ます。
『The Great Exihibition』〜ロンドンのハイドパークで開かれた第一回ロンドン万国博覧会は国際博覧会の歴史的な幕開けとなります。参加25ヵ国による開催。そして、万博が毎年開催されるようになり、さらには一年に2・3か所もの博覧会が開催されるなど、ヨーロッパ近隣国に限らず世界的な流れとして定着していきます。
しかも、近隣諸国の領土獲得に重きをおいた時代とは異なり、世界中が平和で戦争が起こらない状態であること。さらに戦争で争う以上に芸術・工業・商業の発展が、いかにその国に世界中の富が集まり、強国となり得るか? という認識が強くなり、万博開催がどの国においても重要な意味を持つようになっていきます。もちろん、英国の近隣諸国でも勢力争いに熱中する国々が、武力による領土獲得を繰り広げておりましたが、英国が真っ先に産業発展に推移した結果、他の諸外国も武力よりも技術革新で世界を制覇すべき☆という時代の 流れに気が付いてきた時とも言えましょう。 しかし、その流れの中でもイギリスはかなりの領土争いの戦争が勃発してはおりますが・・・

※注釈〜参考までにヴィクトリア女王即位期間中に勃発した戦争を並べてみました。すでに英国は権力においても、強国の位置を貫いていたことがお分かりいただけます。
・イギリスが清を制覇しようとしたアヘン戦争(1840年〜42年)
・イギリスがインドを制覇しようとしたセポイの反乱(1857年〜58年)
・イギリスがフランスとアメリカを区分けしようとした南北戦争(1861年〜61年)
・イギリスがフランスと勢力を競い合ったボーア戦争(1880年〜99年)
そして、毎年万博が定期的に開催され始めたことにより、世界中の国々が芸術・工業・商業発展に目覚める時代と なって参ります。 さて、1851年・・・日本はどんな時代だったのでしょう。徳川幕府による鎖国状態が少しずつ崩れ始める兆しが見え始め☆ペリー率いる黒船来航1853年の数年前です。まだまだイギリスにとっては、未開発国?という認識くらいのジャパンだったのです。
その後、第一次・第二次世界大戦が起こり、一旦万博が中断しますが、再び開催される頃には開催時にひとつの 「テーマ」を持たせた形式〜つまり現代のような形式となり、さらには近代の万博へと時代が変化していきます。
そこで、今回のテーマに戻り「ヴィクトリア女王とともに繁栄したイギリスの銀器」とはどのような銀器だったのでしょう・・・ という本題に戻ります。ヴィクトリア女王が即位した頃、まさしく産業&工業発展が進み、その中でも数多くの銀器職人が独自の技術力を 向上させ、さらに銀器をオーダーするお得意様も王侯貴族からミドルクラス=中産階級の方々が主流になっていきます。 つまり、それまでの宮殿に似合ったボリューム感ある銀器の受注から、お邸に似合った銀器の注文が多くなって いきます。 しかし、このお邸とて〜かなりの広さであったとは思いますが・・・
さらに工房の親方達は産業資本家の仲間入りを果たし、自らがミドル階級クラスであったと記録に残されています。地位&名誉は?と申しますと、王族から晩餐会に招かれる者、さらには貴族階級とも友好を深める親方も多くみられます。そして、貴族のお邸には必ずや〜城主様の肖像画が残されていますが、銀職人の親方をはじめその家族達の肖像画が残されている事からしても、この時代の何百人もの銀職人率いる親方達は、ある程度の富裕層として英国の産業発展に貢献していた事が判明します。
さらにヴィクトリア女王即位中に英国国内が痛手を受ける戦争等も少なく、比較的安定した政治状況であった事も イギリスの豊かな時代であった所以でしょう。 その安定したヴィクトリア女王即位60年は銀職人達にとっても祖父から父、さらには子供から孫へと受け継がれる事業 として長く継続されます。 もちろん、一世代のみという親方達もおりますし、小さな工房はもっと大きな工房に吸収され、その世代交代も活発に 行われた時でもありました。
そして、産業発展の中においてヴィクトリア女王自ら率先した行動。 それはアルコール依存症の多かったイギリス国民に広く勧めた紅茶文化(主にミルクティー)です。 紅茶は健康に良い飲み物というだけではなく、お茶道具を楽しむ工芸品の発展にもつながっていきます。 ヴィクトリア女王即位時代の栄華を象徴し、名声を極めた銀器工房から陶磁器に至るまで、最も工芸品に力を注がれた 時代とも言えます。 それでは数々の有能な銀器職人を抱えた工房をご紹介して参りましょう。 と申したいのですが、あまりにも数多くの工房が活躍した時代です。ほんの一握りの工房が作った銀器を織り交ぜながら ご紹介します。



はじめに一世代の栄誉に終わらず、代々優れた技術を伝え続けたバーナードファミリーが残した銀器。その美しい銀器はヴィクトリア女王の栄光とともに華やかな銀器を数多く作っています。今回はその中でも、ほんの数点にスポットを当て“ティータイムのセッティング”を演出してみます。



続きまして〜英国銀器のティーポットの中でも典型的なメロン型ティーポット。その当時も、色々なメーカーが手掛けました。しかしバーナードの手にかかりますと、蓋の摘み細工から脚の技法など、堅実かつ魅力的な仕上げ方です。 



バーナード工房を不動の位置にした銀器、それはバーナードシェープと言われた代表的なスタイルです。ポットの洋梨シェープにボリュームを持たせたボディラインで造られた、バーナードの特徴的なティーサービス4点セットです。そして、工房の誇る技術力でもあるエングレーヴィングと、蓋の摘みのリアルな細工&4本の脚スタイルに見られる鋳造仕上げもバーナード工房の特徴が見られます。さらに、この時代には注ぎ口、ハンドルの付け根等などに見られます鋳造飾りからも、華やかなヴィクトリア・ロココ時代を    代表するとも言える銀器です。




1851年のロンドン万博に出品するにあたり、当時主流であったフレンチ・ロココスタイルやそれまで英国銀職人が作りあげた銀器では無い、全く新しいデザイン、且つ最先端技術を集結して造られたティーサービスを出品します。それは、今まで考えられなかったティーサービスのデザインを見出す為、デザインの原典に返り、古来ギリシャ?もしくはローマ時代に遡ったスタイルでした。